庭を見せる家

以前住んでいた家は庭が広めだった。その一帯はみんな芝生に背の低い白のフェンスがよく似合う家。当然、スカスカのフェンスでは外から庭は丸見え状態。庭を通りに見せる家なのだ。一見素敵だが住んでみると雑草の手入れが追いかけてくる。外から見られることを常に意識して美しく手入れしなければならない、との思い込みが楽しさを半減させた。そして実際庭で楽しもうと思っても通行人とまっすぐ目があい、なんとも落ち着かない角度。お隣ともストレートに顔を合わせる状態である。そんなわけで、自分が楽しむよりも人目を気にする作業ばかりになってしまった。家の中からふと庭を眺めても、緑を楽しむ前に「草とりしなきゃ」とプレッシャーになってしまう。広い庭を自分らしく使いこなすことができなかったのである。

芝生の鮮やかさに+1!

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目隠しすると日光が遮られる
現在住んでいる家は庭が狭いが、ウッドデッキが広く空間を占領している。「半分外」という状態がとても心地よい。通りからの視線は植え込みがさえぎってくれているし、寝転がったりしてくつろぐ度胸も身について心から楽しむことができる。ところがやっぱり、お隣さんとの境は完全にフリー。ゴロゴロと日光浴してる時に目が合うのはなんとも気まずい。そうかこんな時、庭やデッキにガーデニングフェンスを置けばいいわけだ。何をど
お互いの心地よさを探す
現に今お隣では、我が家との境界あたりに目線ほどの鉢植えをいくつかぽつぽつと置いている。「このへんまでがうちね」という意思表示は感じるが、お互いの目隠しにはほど遠い。どの程度置くか、どのくらいなら見えてもいいのか。壁のようにびっちりと、姿形まで見えないのがいいのか、気配すら嫌なのか。それともぱっと見てもわからない程度、ジロジロと覗き込まなければ見えないぐらいであとはお互いの配慮で暮らすか。それは相手